「自分のシステムと世界のシステムが一つになる」ことから生まれる智慧

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先日、こちらのワークショップに参加した。前身となるワークショップにも参加し、普通にはなかなか得ることのできない気づきがあり、それからの自分を形作ることにとても役立った。

今回はソーシャルセクターの方が多く参加されることもあり「これまでとは違った場になるんだろうな」と思っていたものの、終わってみれば「起こることが起こるべくして起こる場」となった。

 

参加した人にはさまざまな変化が起きていたが、今回参加することで僕に起こった最大の変化は「ライフミッションが深まった」だった。

システムアウェアネスのワークを通じて、特にここ4年において、「自分が何をやっていたのか?」「何が成果で何が限界だったのか?」「次に向かう場所はどこなのか?」が明らかになる、ということが起きた。

 

僕はここ4年、仕事において大企業向け研修プログラムの商品開発を担っていた。もともと自分の希望していた仕事であり、志願してこの部署に異動した。それまでの6年間は法人営業をしていて、やはり大企業向けに人材開発や組織開発のプログラムを提案する、という仕事をしていた。

この4年間、さまざままチャレンジをしてきた。ライフワークとして学んできている「全体性からの智慧」をベースにしたプログラムの開発に力を入れ、NVC(非暴力コミュニケーション)の考えをもとにした若手~中堅社員内省プログラムや、マネジメント研修にその要素を含んだものなどを開発し、展開してきた。

ここで得られた成果は「全体性からの智慧」を日本の大企業向けに展開できたことだった。エンパシーサークルなどは企業向けにも有用で、それまでの内省のフレームワークよりも、よりパワフルかつより自然に、その人に起こっていることを深く顕す力があることを何度も体験できた。

 

一方で、限界は、その根源に迫りきれないことだった。ただのテクノロジー、ノウハウ、ワークとしてNVCの考え方やエンパシーサークルを導入しても、ほとんど意味がない。そんな時は、目新しさはもたらせるが、それ以上でもそれ以下でもなく、その場の変化は起きても、本質的な変化はほとんど起こらなかった。

では根源とは何か?完全には言葉になっていないが、「快・不快」「ある・ない」「良い・悪い」「正しい・正しくない」という二元的生存・適合認知システムだと考えている。この二元的認知システムに支配されたまま、いくらNVCやU理論など全体性からの智慧を使おうとしても、二元論をベースとした世界を創ることに使われてしまう。

 

この二元的認知システムは、人の無意識に埋め込まれており、かつ、それが生存欲求と一緒になって作動しているため、なかなか手ごわい。

私見ではあるが、現状の経営手法、人材開発手法や組織開発手法のほとんどは、この二元的生存・適合認知システムを土台に築かれている。ホールシステムアプローチや学習する組織は、その中でも全体性をベースにした貴重な智慧ではあるものの、活用する人や導入する企業が二元的生存・適合認知システムに支配されていることも多々あり、そのポテンシャルを活かしきれていない。

 

ここに迫りきれなかったことは自分の実力不足であると考えていたのだが、今回のシステムアウェアネスのワークを通じて、それがシステムによって構造的にもたらされた部分もあったと理解が深まったのだ。(もちろん実力不足の面もある)

ワークの一つに、イノベーターVSエスタブリッシュメントという構図で世界を展開させるものがあった。

僕の人生に置き換えると、入社して営業をやっていた最初の6年間は、社会的にも社内的にもエスタブリッシュメントとしての立場を確立しようとしていた。そして商品開発に異動してからはイノベーターとしての立場を確立しようとしていた。

ただ、このイノベーターとしての立場の確立が難しかった。エスタブリッシュメントの人は必ずしもイノベーションを求めているわけではない。口ではそういうものの、本当に求めているのは「自分たちの問題が解決できるレベルのイノベーション」であり、「自分たちの問題設定そのものが妥当ではないと認知させられるイノベーション」ないし「自分たちそのものの変容を迫られるイノベーション」はこちらが不用意に持ち出すと、意識的・無意識的に弾かれてしまう。これが僕が4年間を通じて体験したことだった。

例えば、「エンパシーサークル」などの手法レベルでは「自分たちの問題が解決できる程度のイノベーション」として広く受け入れられた。ただ、その奥底にある「全体性をベースにした自分や世界の扱い方」についてまで広げることは限界があった。(一部の人には伝わったが、それがマジョリティになるまでには至らなかった。部下育成を通してもさまざまなチャレンジはしたが、その人の成長ステージとも絡み合うためなかなか難しかった)

 

そんな中、今回のワークで、イノベーターとエスタブリッシュメントの両方の立場に身を置いてみて、この対立構造のまま生きるだけでは、自分の創り出したい世界には絶対に到達しないことを体験した。

イノベーターは、自分の想いの伝わらなさやもどかしさ、エスタブリッシュメントからのアタックに傷つき、その傷つきが度を越すと、逃避するか、攻撃して自分だけの居場所を新たに創るという行動に出る。

エスタブリッシュメントは、わけのわからないイノベーターにそこはかとない恐れを感じ、支配しようとする。そしてイノベーターが去っていくことに悲しさ・寂しさを感じ、やはり傷つく。

この対立構造の中にいるまま、イノベーターに身をおいて「全体性からの智慧」を生き、伝えることには限界がある、ワークが進行していく中で、その想いはより一層強くなった。

「イノベーターが、エスタブリッシュメントの立場や想いも重んじて活動すればいいじゃないか?」と言うような声もあるだろう。それはその通りだと思う。ただ、自分がイノベーターの立場に身をおいてみると、それはダブルバインド(イノベーターであり、エスタブリッシュメントである)の状況に置かれるため、実際にはかなり難易度が高い。

真のイノベーションをもたらす(これはもはやイノベーションとも言わない「何か」なのだが)には、この対立構造を抜け出して、その両者の傷つきを内包した上で、真実に繋がり、それまで感じてきた傷つき・痛みこそをリソースに現実を創る場やそれを担う役割が必要になる。

 

この理解に至った時、僕にとっての4年間とは何で、何を学ぶための体験だったのか腑に落ちた。

そして、これからの僕はこの対立構造にいるイノベーターから、「両者の傷つきを内包した上で、真実に繋がり、それまで感じてきた傷つき・痛みこそをリソースに現実を創る」役割を担いたい、という願いが出てきた。

 

この願いと共に、自分の存在意義も自然と言葉になった。
「全体性からの智慧を源に、Unityに繋がり直した世界を取り戻すために生まれてきた」

 

これがこの2日間を通じて得られた成果であり、変化だ。
改めて全体性から来る愛と力を、力強く体験する場であった。自分自身もこの場を世界に創っていくことにコミットする。