「ヒト」が「人」として生きられる世界を創る

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僕が抱く願いのひとつに『「ヒト」が「人」として生きられる世界を創りたい』がある。


「ヒト」は生物学的なヒトであり、何かを創り出す存在ではなく、外界からの刺激にただ反応して生きている存在を指す。
一方で、「人」は自分は何者であるかを自ら創造し、その創造した自己として生きている存在だ。


いま多くの人は「ヒト」として生きているのではないだろうか?「ヒト」が生きる上での判断軸は「快・不快」だ。なんだかんだ言って「快になるため」or「不快を避けるため」に自分の人生のすべてを費やしている。

 

一概に、快を求める、不快を避けることが悪い訳ではない。この生き方で手に入るのは、自分はそこそこいい暮らしをしている、マシなものになっているという効力感だ。ただし、その代償として、生きる充足感や幸福感は手に入らない。快を求め、不快を避けることは「人」として生き残りは図れても充足感を感じる活動では本来ないからだ。

 

人が充足感を感じるのは、創造した自己として生きている時だ。大事なのは「創造した自己」として生きることで「何をするか?」は本質的にはどうでもいい。

 

ではどうしたら「創造した自己」として生きられるのか?

 

それにはまず「反応的にヒトとして生きている自分」を認め、受け入れるところから始まる。このプロセスには痛みを伴うこともある。ただ、このプロセスを通して反応に使っていたエネルギーを創造に振り向けられるようになる。そして、エネルギーを創造に振り向けることを続けていくと、徐々に「自己が創造」されていく。こうしてだんだんと「創造した自己」として生きられるようになる、というのが現時点の仮説だ。

 

このブログを通じて、さまざまな面から「創造した自己」から創り出したい世界を創るためのマインドセットや、その実現に向けた自己の使い方、そして世界像そのものをクリエイトしていきたい。