人だけが持っている力とは?

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今日は自然経営研究会に参加した。そこでネッツトヨタ南国の横田社長のお話をお伺いする機会があった。長年の経営経験から培われた印象的な言葉が数多くあったのだが、最も印象に残った「人間力」について触れてみたい。

 

横田社長は採用を特に大切にしていて、今でも採用に携わっているとのこと。その中で、採用基準に関するお話があった。横田社長の考える採用基準は以下の通りとのことだった。①人柄、②価値観の合致、③人間力の順番だ。

 

この中で僕が印象的だったのは、「人間力」の定義だ。経営者や人事担当者の間においても「人間力」が大事だという人は少なくないが、「人間力」を定義できている人はあまり多くない。

 

この点、横田社長は「人間力とは人間だけが持っている力」だとおっしゃっていた。これはシンプルかつ明確である。

 

では「人間だけが持っている力」とは何か?本来であればここから先もお伺いしたかったのだが、あいにく時間切れとなり、お話をお伺いすることはできなかった。

 

ここから先は自分の試論になるが「人間だけが持っている力とは何か?」について考えてみたい。僕は「自己一致する力」だという仮説を持っている。「自己一致する力」とは、内面にあることと実際の言動を一致させて表現する力を指す。

 

この自己一致してそこから表現する力が高ければ高いほど、自分と周囲への影響力が高まり、自然なリーダーシップの発揮につながると考えるからだ。

 

人は大抵、内面にあることと実際の言動にはズレがあるものだ。これは自分の心で感じていることが全て相手に伝わるとしたら?とイメージするとわかりやすい。多くの方はこの現象に恐れや不安を抱くのではないだろうか?

 

ズレが生じる理由は2つある。ひとつは自分の内面を深く掘り下げる習慣がないこと、もうひとつには、自己信頼の欠如によって、自分の内面を出して批判された際の恐れや不安があまりにも大きいからだ。

 

ひとつめについては、特に怒りや悲しみなど不快な感情であればあるほど、掘り下げをしない傾向は高まる。本来、怒りや悲しみの奥には痛みがあり、その痛みは自分が本当に大切にしている願いを教えてくれているのだが、その痛みが大きすぎるように感じて、無意識のうちに避けてしまうのだ。たいてい、忙しいなどと理由をつくっているが、本質的には痛みを扱うことが怖いのだ。そしてこの生活が続くと、今後は感情そのものを感じにくい人になってしまう。

 

その時、人が本来できることは、一見不快とされる感情に出会った際に、それを生み出している痛みを受容し、その奥にある願いに繋がり、その願いを基に表現することだ。

 

しかし、仮に願いに気づけたとしても、それが心の底から出てきたものであればあるほど、外に表現することに恐れが生じやすい。本来、その願いは自分そのものではないのだが、限りなく自分そのものであるように感じられ、自分を否定されるように信じ込みやすいからだ。

 

ここを乗り越えるには、自分の心からの願いを表現し、それが他者や世界に受け取られる体験を積むことが必要だ。とはいえ、いきなりハードなチャレンジをしなくてもいい。みんな日替わり定食を食べたいといっているけど、私はハンバーグランチが食べたい、とかその程度のことでいい。そして、徐々に自分の深い願いを表現することにチャレンジしていく。まずは3回チャレンジすると決めるといいかもしれない。いざ、やってみると拍子抜けするぐらいあっさり物事は動くものだ。私たちはそのぐらい、他人や世界を怖いものだと扱っている。

 

要旨をまとめると、不快な感情に反応的に対処するのではなく、不快な感情から願いに繋がり、その願いから純粋に表現する選択を創造的に行う力こそが「人間だけが持っている力」ではないかと僕は考える。

 

そして、自己一致をベースにしたマネジメントや、自己一致力を解放するための人材育成がこれからの経営には求められてくるのであろう。それこそが自然経営に繋がっていく道のひとつになるのかもしれない。