自分を「場」として生かすために

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いま参加しているセミナーで、有益なフィードバックを頂いた。

 

僕は「つながり」を源にする人であるという認知をようやく持てるようになってきた。このエッセンスを持っていることについては、色々な方から言われてきたのだが、「つながり」を源にしても、何か価値のあることや意味のあることをしていたり、できていてりしないとダメだと、結局「つながりを源にすること」を受け入れていなかった。

 

今回、改めて自分の源が「つながり」にあること(ニュアンス的には「ワンネス」だと思っている)を掴み、そこに立つことを選択した。そうすると、先ほどのような「何かしなければならない」ような補いの感覚は消えて、ただ「つながりの源である」ことから生きられるようになってきた。

 

しかし、揺らぎある日常生活を生きていると、どうしても軸がぶれることもある。自分でもその感覚はわかっていて、その度に自分を立て直そうとしてきたのだが、そのアプローチ自体が間違っていることが今回わかった。

 

ここで、冒頭のフィードバックの話になるのだが、その際は自分を立て直そうとするのではなく、むしろ相手につながりが生じているか、より他者にフォーカスするべしとのことだった。これは動作として他者にフォーカスすることがポイントというよりも、その動作を通じて、一度切れてしまった「つながり」がそれによって戻るので、結果その復活した「つながり」から改めて場を創り出すことができる、ということだ。

 

自分を立て直す方向に行くのではなく、むしろ他者にフォーカスするという考えは自分だけでは生まれることはなかったので、今回のフィードバックは大変有益だった。

 

また「つながり」が生じている際には、ガードするような雰囲気がなくなり、空気感が暖かくなっている感覚があるとのフィードバックも頂いた。これも自分が場となっているかを客観視する指標の1つとしたい。

 

とはいえ、「やること」に囚われてしまうと、いつのまにか自分にフォーカスが当たってしまい、自分と世界とが切り離されてしまうことになりやすいし、究極的にはいついかなる時も「つながり」は存在していて、自分の認知だけが「つながりが切れた」と勝手に意味づけしているだけなので「つながりが切れたと感じた際には、むしろ他者にフォーカスする」ぐらいの感覚でトライしていく。