内省なき選択は浅はかであり、選択なき内省は無力である

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「内省」は一見いいことのように思われているが、「内省」だけでは変容は起きない、そんなことを最近よく考える。

今日も散歩をしながらこのテーマが再び浮かんできて、しばらく置いておこうと思ったのだが、あまりにもちょくちょく出てくるので、一度表現してみることにした。

 

このテーマに関する私見として、『「内省力」と「選択力」はセットだ』がある。

そして、パフォーマンスに影響度の高い要素はどちらかというと「選択」だとも考えている。優れたリーダーは必ずしも深い内省をしているかというと、必ずしもそうとは言えないのではないか?という仮説がある。

逆に優れたリーダーは、「選択」について優れたセンスを持っている人が総じて多い印象がある。「選択力」はあるが「内省力」に欠けたリーダーは、狭い視野で選択をしたり、周囲への影響をあまり鑑みずに選択をしてしまう傾向があるように思う。そしてそれを内省力をつけることで補うというより、その失敗を元に改めて選択することでリカバリーしているのではないだろうか?つまり、「内省力」の欠如を「選択力」で補っているのだ。

理屈で考えれば、深い内省から導き出された選択が大きく現実が変えることはあるだろう。ただ、選択に反映された現実を観察し、そこから改めて選択する、という、いわば選択重視の姿勢の方が現実変容スピードは速いのだと思う。

だから今のリーダーには「選択重視」のリーダーが多いし、そのようなリーダーが求められるのだろう。

 

内省を起点したリーダーシップを発揮し、現実を変えていくためにもこの「選択」の力が欠かせない。そしてそれと共に「本当に選択という概念があるのだろうか?」という感覚も存在している。自分が自然に選択している時は、選択しているという感覚そのものがなかったりするからだ。

内省も選択も、どちらも概念であり、具体的な事象を具体的に扱っていく中でこそ見えてくるものがあるはずだ。自分の体験を題材にしながら引き続き扱っていきたい。